忘れないために

12年が経った。


その地域にいないと、この日になったときに思い出す程度になってしまう。







支援物資で訪れ、少しでも喜んでもらおうと即興劇を急遽行なったが、逆に元気をいただいた。


今でも多くの人が避難先で暮らしている。


何事もなく過ぎる平穏な一日一日にあらためて感謝。


11年が経ち。

東日本大地震から11年。

 

記憶を忘れないように、自分が3月29日に一度めの支援物資で石巻に行ったときに見た、女川の光景を掲載しておきます。

 

 

 

 

 

 

鳥も飛んでいない静寂な青空の下、胸を締め付けられた。

 

 

 

これは自然の災害。

 

人工的な被害は止められるはずなのに。

 

BOBI

もう少しです

先日3月1日から3日間に渡って書いた誕生日in福島ですが、昨日双葉町が一部地域の避難指示が解除されました。



そして今日、大熊町が。



次にこの6号線を通る時には、どんな光景だろうか楽しみです。

10日に夜ノ森。

「夜ノ森桜」といってとてもきれいな桜並木があるとヤスが言っていた。

もう少し。

少しずつ。

BOBI

忘れない

8年が経った。

自分で見た惨劇の痕跡を忘れないために今、また見る。

石巻






女川






気仙沼






今も見つからない方々を含め、亡くなられた方にご冥福をお祈りするとともに、被害に合われた方の前進をお祈りいたします。


変化のないことの幸せを感じる。

BOBI

まだ、7年

今日はとても快適な春の陽気だが、花粉に苦しめられている人は多いだろう。

7年前は惨劇であった。

その18日後に石巻へ支援物資の輸送で行った時、車内から最初に見た爪痕を、忘れないためにも掲載しておこう。



街の方へ向かってみる。



僕らは道を間違えて女川の港方向へ走っていた。



港の街は何一つ形を残していなかった。



あの日の記憶は今も鮮明に焼き付いている。

景色、音、匂い、身体全部で感じたものを自分の「生きる」という表現で形にしていきたい。

僕は今、生かされているのだから。


人々が安心して住める街になり、笑顔に満たされる日を、祈ります。

BOBI

今朝の地震

5時59分ごろ、福島県沖でM7.4の地震が起きた。

早くに目が覚めていたので、初動から感じ、長いなぁと思った。


先日サーフィンで海に行ってあらためて分かった自然の素晴らしさと恐ろしさ。

我々ちっぽけな人間が何をしてもどうにも変わらない。

変えることが出来ない。

でも、今日も生きて行くために一歩を踏み出す。





福島のみなさん、大丈夫ですか?

BOBI

3.11の今日

今日いろいろあったがなんとか小屋入りを終えた。

しかし、この日は忘れてはならない一日である。

悲劇が起きてから2年が経ち、明日から自分は舞台に立てるということを喜びと感じるとともに、何故自分は立てるのかということをしっかり受け止めたいと思います。

頑張ります。



鈴木一成

吉田さん



米崎町の吉田さんに会い、花畑をつくるための準備活動。

もともと花畑だった土地には外国人ジャクリーンさんのデザインで今また新たな花畑が出来ようとしている。
「希望の庭」








ここの下に位置する吉田さんの自宅は津波で跡形も無い。
大きな瓦礫の撤去は終わっているので、細かいものをみんなで拾っては集積所に運んだ。
ここも新しい花畑になる。



マンパワーは凄い。
みんなで終えた跡は本当にキレイになっていた。

片付けを終え、ある時を待った。




2:46
サイレンが鳴った。

みんなで海に向かい黙祷。


津波の前にここの花畑に咲いていたひまわりの種を、自分の住んでいるところで植えてくださいと頂いた。



ちっちゃな子供靴に入った花。
その手前に書かれた「がんばろう 日本!」



◎BOBI◎

陸前高田 災害ボランティアセンター

音が無い。

ボランティアセンターのスタッフからの話を聞き、今日は皆それぞれが静かに過ごす日としていることを知った。

ボランティアセンターも今日は活動をしない。

















◎BOBI◎

一本松



気仙沼からトンネルを抜けて陸前高田に入った。

遠くに見えるのがあの一本松。

◎BOBI◎