高校の同級生、江連健司が監督したショートムービー。
短い時間のなかで心温まる作品に仕上げている。
ともに机を並べた仲間が自分のやりたいことに向かっていることを知ると嬉しくもあり、励みにもなる。
彼は自分よりも役者のスタートが早く、中尾彬さんの付き人からはじめた。
彼の明るさとポジティブさは学生のころが蘇る。
そうやって考えると、もっと前に彼と会っていたことを思いだした。
そのことについて本人と話したことはない。
記憶も定かでないし、間違っていたら申し訳ないが、まちがいなく江連健司と私は古い付き合いなのだ。
私が通っていた小学校に青空学園なるものがあった。
それはぜん息をもった子供が通うクラスで、山の上にあった。
緑多く、空気がきれいだからだろう。
そこの生徒たちが、たまにやってきて一緒になって授業をしたりしたんだと思う。
なにをしたかは忘れてしまった。
しかし、そのときに江連健司だけを覚えていた。
彼は中学校は隣の学校へ行ったので、高校で再会したのだ。
でも彼は私のことを覚えていなかったように思う。
青空学園のことは一切話したことがないはずだから。
それに彼からぜん息のぜの字も出ていなかったから。
野球部に入って練習でぜえぜえとは言っていただろうけども。
高校を卒業して会わなくなってから、『ミンボーの女』や『七人のおたく』で、演じている彼を見たときはうれしい気持ちになった。
よく遊びに行った健司の家。
たしかうちと同じでお母さんも働いていたはずで、家に寄ってもいなかったことが多い。
それでも何回かあったように記憶している。
息子と同じように、とても元気なイメージが残っている。
私の母が亡くなって四半世紀が経つ。
その歳に一つ一つ、自分も近づいていっていることを認識すると、あのときの病室で息を引きとった瞬間がすぐそこにあるような気になる。
ならばなにをするか。
確認するまでもなく、やりたいことをやるだけだ。
それが成就するまでは簡単でも短くもない道のりである。
苦しむときに母が現れる。
今は亡くなって一年の父もいる。
親を想えば、子は走る。
それしか親孝行はないのだから。
そんなことを考えさせられました。
ケンジ、ありがとう。