10周年を終えて 其の参

当時、フリクル・ジュニアが存在した。

京都在住につき来れなかったメンバーNAOのメッセージを読む、同じくフリクル・ジュニアのKOMA。



公演の裏方、歩行者天国、我々といつも行動を共にし、力を貸してくれた。

本当にありがとう!


1999年7月24日「東海道五十三次即興行脚」をスタート。

日本橋から京都三条大橋まで17日間かけて歩いた。

メンバーはHIRO、KOMA、ターボー(当時の音響スタッフ)

40km、即興、水風呂、寝袋の毎日。

真夏の炎天下に出たのは馬鹿だったなあと思う。


2000年1月31日(月)に大阪特別公演。

メンバーはNORIKO、HIRO、MASAこと飯野雅彦。

会場のウイングフィールドは立ち見状態で爆笑、感動し、プレ公演で行った1998年3月の大阪ライブからは成長を実感。


その春、劇団体制からプロデュース体制に変わった。

理由は自分が求めていたフリークルーズでないと感じたからだ。

一人一人が独立している集団を求めていた。

オレはぶら下がるのもぶら下がられるのも嫌いだ。

それぞれが一本の柱で、その柱が屋根を支えている、そんな集団でいたかった。

今思うと、自分のエゴが強く、仲間への愛情が薄かったと反省している。

突っ走っていた理想主義者のオレは周りを見ることが出来なかった。

みんなへの感謝と申し訳ないという気持ちが後に痛いほど押し寄せてくること知らずに。

(つづく)


◎BOBI◎

10周年を終えて その弐

出航してすぐの荒波を乗り越えた後、メンバーのKAZUMIが抜けるという荒波がまた押し寄せた。

でもオレ達は止まっていられなかった。

3人体制で航海を続けた。

途中、いろいろな乗組員がいた。

昔から今もお世話になっている吉田敦の兄貴が出演したこともあったなぁ。



NORIKOが芝居の全国公演で不在だったため、男臭い馬鹿らしいライブになった記憶がある。


また、定期公演とは別に、飯野雅彦氏と『即興実験』を始めた。



これは絶対他の即興プレイヤーが行わないことをやる、そう、実験的ライブだった。

「お客がついて来れなくてもいい!むしろついて来れるか!」

スリリングだったし、余裕無しの集中力200%だった。

これを行って感じたことは、「破壊の中に真実を見つけられる」ということ。

何かをし始めれば、決まった考え、行動、ルーティンといった型が出来る。

それを壊すのは不安だ。何が起きるか分からないわけだから。

でも、何とかしようとする、乗り越えようとする。

そこで、自分を知り、新しい自分を発見する。

山本寛斎さんの言葉「未来に前例は無い」は心に響いた。

「だから人がやったことはやるな」と言っていた。

年齢を重ねて生きて来ていろいろなことを知ってしまい、なかなか簡単なことではないけど、少しでもいいから実行して行くぞ!


(つづく)

◎BOBI◎

10周年を終えて 其の壱

1988年5月26日にフリークルーズは三軒茶屋「欽こん館」で産声をあげた。

10年後の同日にごく内輪で記念パーティを行った。


司会はHIRO&HIROKOで、YUTAKAが創ってくれた年表パネルを見ながら時代ごとに振り返って行った。



初代メンバーのYUTAKA、NORIKOが舞台上に。

もう一人のメンバーKAZUMIはサンフランシスコからメッセージを送ってくれた。



そして久しぶりのパフォーマンス。



二人は役者を辞めているのに相変わらずだったなあ。

染みついたモノは身体が反応してしまうのだろう。


当初、劇団の在籍経験もなく劇団の知識ゼロで、他の3人より役者経験がないオレの船に快くのってくれた。

知らないことばかりだったがみんなの力を借りて出航できた。

それから始まる20ヶ月連続の毎月のライブ、稽古、制作、ほんと毎日走ってたなあ。

第一回目のチラシ(とてもチラシとは呼べない)を作るのにパソコン(初代VAIO)を買って、毎夜格闘していた。



一月目のライブを終えた後、母が他界してみんなに翌月の第2回目を延期しましょうと言われたが決行した。

出航してすぐの荒波も乗り越えることが出来たのはみんながいたからだ。

本当に、ありがとう。


20回のライブを終えて体制が変わる。

(つづく)

◎BOBI◎

集合!

久しぶりやねぇ〜。


◎BOBI◎

今日は

最高にHappyだぜ!


◎BOBI◎

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