飛んでいこう!

今回は友人の役者である44北川氏の動画メッセージからスタート。




彼の出演舞台です。


なにやら怪しそうな雰囲気の役です。


東京は終わったばかりですが、今週末に大阪でありますので、よかったら劇場に足を運んでみてください。



即興ラジオドラマのレッスンテーマは、アドバンス(前に進める)における、ストーリーのジャンプといえばいいでしょうかね。



会話の中に出てきたキーワードから、シーンを作り出す(移行)トレーニングです。


即興で台本がありませんから、出てきた言葉からストーリーを生み出していくしかないのです。


ぐだぐだと冗長のシーンにならないように、その場に発された言葉へ集中する。


まさにコトバケーションです。


今回の実践編のタイトルは抽象的と具体的なしりとりを結合して、「論理的な海」と決まりました。


どんな話になるのか、打ち合わせもないですから、はじめた自分たちも困惑しつつも挑みました。


今夜22時からです。


都合つかない方はリピート配信でどうぞ。



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『冒険者たち』

大好きな映画を観たいが、サブスクでは別料金を払わないとなので、何度でも観れるDVDを購入した。

 

 

たしか、昔にビデオレンタル店で働いていたときに教えてもらい、観て感銘を受けたのがはじまりだったはず。

 

その後リマスタープリントとなって上映されたので、映画好きの友人を連れて新宿武蔵野館で初めてのスクリーン鑑賞をした。

 

海のシーンをはじめ、すごくきれいだった。

 

それ以降たまに観たくなりレンタルしたこともあった。

 

映画も小説も時間が経つとすっかり忘れてしまうことが多いのだが、これもそうで、覚えているところは鮮明な絵として記憶されているが、それ以外はすっかり抜けているので、今回も初めから刺激的で、最後は感動していた。

 

原作はジョゼ・ジョバンニ、監督はロベール・アンリコ、主演はアラン・ドロンにリノ・ヴァンチュラ。

 

この7年前の『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンも好きだが、本作品もいい。

 

フランスとイタリアのスターが共演で、ヒロインのレティシア役にジョアンナ・シムカスがこちらの心をざわざわさせる三角関係を作りだす。

 

主題歌のフランソワ・ド・ルーべの「レティシア」が、その心を見事に表現するとともに、3人の未来を語るように明るくそして不安にする。

 

 

幼いころ、秋田出身のいとこで、早稲田の落研に入っていたゆうちゃんがアラン・ドロンの真似をして笑わせてくれた。

 

ダーバンの宣伝でアラン・ドロンがビリヤードをしている映像で、最後にフランス語で話すCMだった。

 

それをゆうちゃんは、アラン・ドロンは秋田弁で喋っているんだよと、「ダーバン、七時でねえかまだ」と真似した。

 

それが本当にそう聞こえた。

 

実際秋田弁はフランス語に似ていると思う。

 

家に友達が遊びにきていたときである。

 

秋田のおばさんが電話をしてきて、母親が話をしていた声を聞いて、友達は「お母さん、フランス語話せるの?」と訊いてきた。

 

そのゆうちゃんはもういないが、こうやってアラン・ドロンを見ると思い出す。

 

2017年に一本ずつ映画と舞台に出演することで引退を宣言したアラン・ドロンだが、実現することなく今にいたり88歳。

 

もう映画で観ることはないだろうから、これからもこの『冒険者たち』を通して何度も楽しいゆうちゃんとの時間を思い浮かべるのだ。

 

 

『黙示』

今野敏氏の、警視庁捜査三課萩尾警部補シリーズの第三弾を読了。
 

 

 


最初の『確証』、2作目の『真贋』と少し違う味わいだった。

ソロモン王の指輪が盗まれるという事件から始まるのだが、そもそもソロモン王って誰かということで、その部分がミステリアスになっていて、事件の解決に向かっていく。

捜査三課ということで、窃盗が主になる話なのでしょうがないが、今回はとくに頭の中での事件となり、展開に迫力がかける。

美術品や歴史などが好きな人には別の楽しみがあるのだろう。

氏の作品をたくさん読んだわけではないが、任侠シリーズで伝わってきたように、人間味が物語から滲んでくるのがとても好きである。


『オットーという男』

前から気になっていた作品を鑑賞。

 

 

予想以上に感動した映画だった。

 

トム・ハンクスが見事にオットーという男を演じている。

 

生真面目な堅物男が向かいに引っ越してきたメキシコ人夫婦と出会うことで、それまでの自分と過去にもう一度向き合っていくお話は、ユーモアもあり、現代社会の風潮も交えて、生きることの大切なことを伝えてくれる。


猫がある意味を持っているように登場するのだが、とにかくかわいい。


 

 

Welcome!

昨日は卒業式、そして今日は4月から入学する生徒さんのスクーリング。


こわばった表情の知らないもの同士が、少しずつ距離を縮めていき、笑顔に満ちていく。


毎年のことだが、それは本当に素敵なことだし、指導する自分にとっても有意義な時間である。


可能性しかない彼ら。


失敗を恐れずに、どんどんチャレンジしていってほしい。


再会する日が楽しみである。




何十年ぶりの卒業式

今日は教え子たちの卒業式だった。


謝恩会には参加したことがあるが、式典に参加するのは初めて。


自分の卒業式など覚えていないですが、独特の雰囲気に昔の自分の体が反応した気がする。


みんな一皮剥けたように成長が見られ、これからの希望に満ち溢れていた。


自分も負けてはいられない。



謝恩会では酒はなかったが、帝国ホテルのカレーを堪能し、「旅立ちの日に」を初めて歌った。



楽しく、自由に飛び回ることを心から願う。



式から離れ、ホテル地下で刀の話を聞き、フランク・ロイド・ライトの芸術に触れてきた。




『覆面作家』

気になって手にした大沢在昌氏の短編集。



どれも読みやすく面白かった。


エピソードがバラエティに富んでいるのもその理由だが、「私」なる作家がすべての主人公で描かれていて、それは大沢在昌氏本人とうかがえるからだ。


よって、小説家や出版業界のことにも触れることができる楽しさがある。


8作品収められているうちの一つがタイトルであるが、まさにこの中の「私」が本名を隠した覆面作家という意味になっているともとれる。


45年の作家活動、原稿は手書き、書いたら飲みにいく、おそろしいハードボイルド作家に感服する。


連連想


誤字ではなく、今回のソクラジ(即興ラジオ)ドラマのレッスンテーマです。



よく2つの異なるものから何かを連想するというのはよくやってきました。


それを応用して、ストーリーで展開するというのを行います。



異なる物と物ならどんな話になるのか。


たとえば、

「桜」と「バーベル」で、「花見ジムをオープンする」

といった具合です。


それを異なる「人」と「人」、「場所」と「場所」とやってみました。


それを生かして、実践編の即興ラジオドラマをでは、とんでもなく頭がこんがらがりながら、なんとか結末を迎えました。


そんな台本・打ち合わせ・カット・編集なしの20分ほどのストーリーをお楽しみください。


今夜22時からです。


ご都合が合わない方はリピート配信でどうぞ。



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澄みきって

空気がきれいで、富士山が大きく見えた。


快適なドライブをして、海に到着すると波が迎えてくれた。



日差しがあたたかく、ブーツはいらない水温。


春を感じる。


『コーダ あいのうた』

公開を知ったときに、ひらめきを感じて、劇場に足を運ぼうとした。

 

 

家族とろう者、この2つの情報から、まちがいなく感動するんだろうと思った。

 

上映されたのに、都合が合わないうちに終わってしまった。

 

アカデミー賞受賞という結果に、やっぱりなと自分のひらめきは正しかったような気がした。

 

とはいったものの観ていないのだから、それが正しいとも言えなかったが、今日鑑賞してやはり合っていた。

 

泣いた。

 

身内にろう者はいないが、付き合いは古くからある。

 

FREECRUZの旗揚げ公演の前に、大阪でプレ公演を行ったとき、ろう者の方々が観にきていた。

 

我々の即興演劇がわかったのか訊くと、細かいところをのぞいては楽しんでくれたという。

 

そののち岡田正子先生のワークショップつながりで、ろう者の方々と出会った。

 

友人の女優、しのぶとの出会いもそのときだ。

 

そして青山円形劇場での初公演で、かれらのろう者によるダンスチームに出演するアイデアも生まれていた。

 

残念なことに、そのろう者のグループの父親的存在の米内山さんが去年亡くなった。

 

ろう者でなくても、自閉症児童と二人の芝居をしてから、現在に至るまで、さまざまな障がいを持った方たちと接してきている。

 

だから映画のかれらのように、コミュニケーションの難しさを感じることが、少しかもしれないが理解できる。

 

いや、五体満足の人間ほどコミュニケーションが成立しないことの方が多いのではないだろうか。

 

欠けている部分を補うために、必死に相手に向かい合うのと違って、さもわかっているように相手のことには無関心な人間は多いとおもう。

 

自分でも面倒な話にはそうしがちになってきた。

 

平常を当たり前と思っている怠慢にしかすぎない。

 

それがどれだけ幸せなことなのかは、失ってからでしかわからない愚かな自分たち。

 

こういった映画が受賞し、多くの人々にメッセージが届くことは、少しずつ人々を豊かにしていくはず。

 

政治家の詭弁がそうしないのと違って。